麻原彰晃とオウム真理教が大学祭に来た時の記憶

 オウム真理教の麻原彰晃始め7人が死刑となった、ということで、彼らが大学祭に来た時のことを思い出しました。

 私が名古屋大学の学生であった頃、名大祭に麻原彰晃が来るということで、これは面白そうだと喜んで見に行きました。新宗教には子供の時から関心がありましたので。
 何年のことか覚えてなかったのですが、資料を見ると平成4年(1992)の6月だったようです。この頃国立大学をいくつか回って講演していたようですね。勧誘手段の一つだったのでしょう。
 名古屋大学に当時あった教養部の第6講義室(通称6講)、これが一番広い部屋でしたが満員で、学生だけでなく一般の人も多数来ていました。当時、オウム真理教は選挙に出たり、麻原彰晃がテレビに出たりして、かなりの知名度がありました。また、熊本の土地で揉めたり、ワイドショーネタにもなったりしていたため、好意的に見ている人は少なかったですが、サリン事件のような大きな犯罪を起こすとまでは思っておらず、ちょっと変わった宗教の人たち、というのがその時の世間の認識であったように思います。本当はすでに平成元年(1989)に坂本弁護士一家殺害事件を起こしてましたが、私も含めて大半の人はオウムの仕業とは知らず、凶悪な集団とは全く思っていませんでした。

 会場には、麻原がいつも座っているらしい、ソファのような大型の椅子が持ち込まれて教壇にセットされました。スタッフとしてあのオウムの服を来た信者が多数来ています。まったく覚えていませんが、幹部はみんな来ていたのでしょうか。司会というか場を仕切るようなことをしていたのが村井秀夫で、彼一人だけはなんとなく覚えていたようです。後に刺殺された時に、あの時の司会の人だなと思い出しました。
 
 麻原の講演については、彼が何を話したのかまったく覚えてません。とにかく偉そうな奴だったな、というのがその時の感想です。
 その後、質疑応答があり、最初に立ったのが20代の学生でした。この人がよくわからないことを言い出して、聴衆の失笑を買っていました。麻原がびしっと言うみたいな感じで終わります。今から考えると仕込みなのかなとも思いますが、当時はそう感じませんでした。ずれた感じのおかしなことを言う人でしたので。次に立ったのが40代のおじさんで、最初の人がひどかったので、その理由は愛知県人の気質がどうのとか、言い訳を始めます。これも麻原に軽くあしらわれれます。そして最後に麻原は、名古屋にはたいした奴はおらん、と馬鹿にして帰っていきました。これも一種の挑発だったんでしょうね。
 当時、現在の私のような仏教の知識があったら、からかい半分で質問してみようとしたかもしれません。ただ、知らなくて良かったのでしょう。もしそれをやってたら、今頃死体すらないかもしれません。

 おみやげとして全員にビデオや教団の冊子を渡していました。冊子はフルカラーで金がかかっています。覚えているの水中クンバカの話で、尊師はすぐに浮上してきてしまうのですけど、その理由は水槽を止めている四隅のゴムから毒素が発生していたから、というものでした。馬鹿馬鹿しい言い訳のように思えますが、当時の私はそういうこともあるのかな、というくらいに思っていました。信者は当然100%真実だと思ってるわけで、書き方も当然そうなっています。残念ながら捨ててしまいましたが、なかなか面白い資料でした。
 かといって、その後オウムの道場に行くとかいう気はまったくなく、オウムが世間で疑われだした頃は怪しく思い、上祐氏がテレビに出まくって主張してた時は、こいつ嘘つきやなと思っていました。

 サリン事件が起こり、オウム施設に警察が入って一網打尽となり、裁判が始まります。私は麻原の主張を全く支持しませんが、とにかく裁判で彼が堂々と自分の主張をするのだろうと思っていました。現在の国家の法律はそうなっているかもしれないが、それよりも私が主張するものの方が正しい、と言って堂々と死刑を宣告されると。しかし、実際の麻原は部下がやったと言いだしたり、それが部下の証言がたくさん出てきたため否定できなくなると、今度は狂者を装ったのかわかりませんがまともに答えなくなったり、という醜態を見せ続け、私はがっかりしました。

 それからしばらくして、私は神主の資格を取るために私は國學院大學神道学専攻科に入りました。國學院大學には新宗教に詳しく、かつ逮捕前の麻原に何度かインタビューもしている教授がいました。その先生に、昔麻原が大学祭に来てとても偉そうにしていましたが、先生は何度か会って麻原をどういう人間とお感じになられましたか、と聞いてみました。授業の後の少しの時間で聞いたことなので、詳しくはお話しできませんでしたが、教授が言われたのは、その場で要求される役をパッと演じられる人間、ということでした。

 つまり、麻原がやってきたことはすべて信念から出たものと言うより演技であることが多かったということでしょう。もちろん、信者が増えて教団が大きくなると自分の力を勘違いするでしょうし、本気で国家転覆できるかもと思ったこともあったかもしれません。ただ、常に自分の嘘がわかっていたのではないでしょうか。そのような人間が、出たとこ勝負にごまかしを続けていくうちにあんな大事件を引き起こすまでになってしまった、世の中とは不思議なものです。