富永仲基の神道批判を見る

 富永仲基(とみなが なかもと)は江戸時代の思想家です。正徳5年(1715)の生まれで、八代将軍徳川吉宗の頃に活動した人です。生家は大阪の商人で、生来病弱だったこともあり、三十歳そこそこまでしか生きられませんでした。その環境であったためか、大量の仏典、儒学書を読んだと自ら書いています。

 富永は神儒仏をすべて批判した特異な思想家で、「加上論」で知られています。宗教思想にしろ、学説にしろ、もともとそれまでの説があって、それらを批判しつつも新しいことを加えることで、新たな説を作っていく。またそのためにより古いものだと挿入したり、あるいはより優れていることを強調することになる、という考え方です。神儒仏どれかを批判する人は珍しくありませんが、全部を批判する人は珍しいので、その著書「翁の文」を読んでみました。

 まず、仏教ならばインドでインド人がやっているようにすべきではないか。儒教ならば中国で中国人がやっているようにすべきではないか。と話をしていきます。神道についても、それならば神代にやっていたようにすべきではないかと主張します。例えば神代に銭、お金はなかったなかったので使うべきではないし、日本人が今着ている服は呉服で元々中国から来たものであるから着るべきではないし、言葉や名前も神代のようなものにすべき、と主張しています。
 
 また、神儒仏にはそれぞれくせがあると指摘します。
「仏道のくせは、幻術なり」
 幻術とは魔術なのか霊能なのかよくわかりませんが、宗教的な奇跡、不思議ということです。サイババが何もないところから粉を出す、とかあのような事でしょう。とにかくインドではその幻術がないと人々が信じない、釈迦も幻術が得意だったと富永は書いています。

「儒道のくせは、文辞なり」
 文辞とは弁舌なりと書いていますが、中国では諸子百家の如く多量の文章、言葉、これを連ねないと人々は信じないということです。

「神道のくせは、神秘・秘伝・伝授にて、只物をかくすがそのくせなり」
 神道についてですが、神道のくせについては神秘だの秘伝だの言って見せないようにすることだ、と言っています。さらに、
 「そもそも隠すということは偽や盗みの根本になるものであって、幻術や文辞はそれなりに価値があるからまだ許されるところもあるが、この神道のくせだけは他に比べてまったく劣っている」(『日本の名著』中央公論社より)
と一番厳しく批判しています。

 現在の神社神道は非常に綺麗な形になっており、秘伝とかほとんど言いません。綺麗になったのは明治以降の話で、江戸時代までは加持祈祷、オカルト志向が神社に対する人々の要求でしたから、神秘性が重要視されていました。現在でもいわゆる古神道や陰陽道が好きな人たちの間では、その傾向が未だに見られます。秘伝とするとありがたく見えますし、伝授とした方がやりがいも出ます。それが広く公開されていては面白くありません。

 富永は若くしてこの世を去っていますし、いくつか出版した本もあまり多くは残っていません。当時から有名でもなかったようですが、彼のことを高く評価したのは、かの国学者本居宣長です。富永には「出定後語」という本がありますが、この仏教批判を宣長は評価しました。「翁の文」も読んだと思いますが、その神道批判の部分についてどう思っていたのかはわかりません。自分とは関係がないと思ったのかもしれません。

 さて、神儒仏を批判するのはいいですが、それなら富永の寄って立つところは何なのか、ということが気になります。富永はそれを「誠の道」と称しています。
 物事は当たり前のことを努め、今日の仕事を基本にして、心を真っ直ぐにし、行いを正しくし、立ち振る舞いを慎み、親によく仕えること。
 これらが誠の道である、としています。他にも触れていますが、日本人が思う人間としての常識的なことと言っていいでしょう。仏教や儒教も全く認めていないのではなく、この誠の道に叶うところは評価しています。
 その誠の道というものは、外部から見れば一種の宗教ではないかと思いますが、あくまでもそうではなくて、常識であると考えるのは他の日本人と変わらないところです。宗教なのに宗教とは認めない、それを越えたものである、と考える日本人のこの発想を「超宗教日本人」と私は呼んでいますが、特異な人と言われた富永も、典型的な日本人の枠ないの人であったと思います。