「大日本は神国なり」神皇正統記を読む

 北畠親房の神皇正統記は「大日本は神国なり」の一文で始まっています。
 これを「だいにほんはしんこくなり」と読んでしまうかもしれませんが、振りがなには「おほやまとはかみのくになり」と書かれています。そちらの方が訓読みで心地よく聞こえますね。

 それではなぜ神国というのか、その理由が続けて書かれています。

 「天祖(あまつみおや)である国常立尊が初めてこの国を開き、天照大神からずっと皇統を伝えられた。これは我が国だけである。外国にはこのような話は無い。だから神国というのである。」

 日本を「やまと」と読むことについては、耶麻止(やまと)は大八洲の中央にあった国の名で、神武天皇以来の都が置かれていたからこの国の名をとって、大八洲全体をやまとというのであろう。周の地から始まった周王朝や漢の地から始まった漢王朝がその国土全体の名としたのと同じである、と書かれています。
 古代日本も実際そうだったかはわかりませんが、面白い意見です。

 「大日本は神国なり」の一文を読んでも、平成生まれの人達には特に感慨もないとは思いますが、昭和前半に生まれた人には拒否感が強いようです。中央公論社の『日本の名著』では神皇正統記を現代文訳してくれているのですが、そこの付録において、作家の永井路子氏(大正14年(1925年)生まれ)と訳者の学者が鼎談をしています。その中で永井氏がこのように語っています。

 「いっぽうの『神皇正統記』になりますと、私たちには、一種の『正統記』アレルギーみたいなものがありますね。これはどうしようもないもので、冒頭の「大日本は神国なり」というのを思い出すだけでも、ぞっとしてくる感じがするのですが、(以下略)」

 神皇正統記が第二次大戦前には異常に持ち上げられた反動なのでしょう。大戦前の持ち上げも大戦後の毛嫌いも、特定のイデオロギーによるもの、と私には見えてしまいますが。
 ただこの後で永井氏も訳者も実際に読んで意外に思ったと述べています。激烈な右翼国粋主義の内容が書かれているのだろうと思って読んでみると肩すかしにあいます。
 基本的には神話の時代からの日本の歴史が書かれていて、時折親房の感想があるのですが、別に奇矯なことは書かれていません。天皇だからといってすべて賞賛しているわけでもありません。例えば藤原基経が素行に問題があると噂された陽成天皇を退位させたことについては評価していますし、戦乱を鎮めた源頼朝や、善政を施した北条泰時などを評価し、後鳥羽上皇の挙兵については批判しています。
 また、神国と書くくらいだから、狂信的な神道信者だろうと思うかもしれませんが、歴史の中の仏教についても普通に触れていますし、評価もしています。神道だけでなく仏教も信仰する当時としては常識的な宗教観の持ち主であることがわかります。

 日本の歴史についてのざっとした話を進めていくわけですが、そんな中でも親房ならではの観点もいくつか見られます。村上天皇がやけに褒められてるなと思ったら、そういえば北畠家は天皇の皇子である具平親王から続く村上源氏の家でした。
 正統記と書くくらいですので、後醍醐天皇から後村上天皇へと続く系譜が正統だとするのがこの本の意図の一つですから、皇室が天照大御神から続いているという物語を語ることが重要ですし、そして対立していた持明院統や、同じ大覚寺統でも後二条天皇とその皇子への目は厳しいところがあります。

 もう一つ親房が言いたかったのは、武士が高位高官を欲しがり、そして朝廷が与えてしまうのはよくない、ということです。これは非常に気に入らなかったようで、激しく批判しています。自分を抜擢してくれた、敬愛する主君である後醍醐天皇による建武の新政も批判していますが、その理由の一つがこの武士への官位についての不満です。
 親房がこの神皇正統記を書いたのは、京都ではなく、筑波山の南麓にある小田というところにおいてのようです。東国に派遣されて、その地の武士を糾合して足利家と戦っていました。地方の武士達も官位や褒賞としての領地を要求してきますから、気に入らなかったのでしょう。誰もが認める優秀な人間を抜擢するのは否定しないが、武士が一時的な功をあげたからといって、家柄を無視して高位を与えるのは良くないと主張しています。
 武士の力を無視できないとわかっていても、官位のような秩序は崩したくないというのが公家出身らしいところであり、武将としても頑張りましたが、限界でもありました。結局のところ、彼の理想とする体制は武士が支配する世の中でもなく、古代のような天皇親政でもなく、武士が台頭する前の摂関政治の時代だったように感じます。