平田篤胤大人のお墓

 秋田県にある平田篤胤大人のお墓を参拝してまいりました。
 京都から秋田というのはなかなか行きにくいところですが、敦賀まで電車、敦賀から秋田までは新日本海フェリーで行くことにしました。敦賀朝10時発で秋田には翌日朝5時40分と丸一日かかりますが、船に乗るのが好きなためです。京都人は盆地の民ですから、常に海にあこがれがあります。
 早朝に着いて、秋田駅のバスが来るまで一時間ほど待つようでしたので、秋田港より土崎駅まで20分ほど歩いてみました。途中土崎神明社という神社がありましたので、お参りに立ちよります。神明社とありますから、御祭神は天照大御神です。平日の早朝でしたから誰もおらず静かな境内でしたが、後で調べましたら、例祭の曳山行事は相当盛大にされるようですね。知らない町を歩くと知らなかった神社と出会います。

 平田篤胤の墓は秋田駅の北東にあります。秋田大学行きのバスで行けばいいと調べて、秋田駅の東口に降りてみましたが、実は乗り場は西口でした。バスに5分ほど乗車し、秋田大学前バス停で下車します。お墓までは秋田駅から歩いて30分掛からないくらいですので、徒歩でもいけそうです。(帰りは歩きました)


 秋田大学といえば鉱山学部、という印象があります。全国で唯一でしたし、高校時代地学部に所属して、センター試験も地学で受験したので岩石に興味があるという個人的な理由もあります(好きな岩石は花崗岩)。ただ、残念ながらかなり前に名称変更してしまったそうです。鉱山、なんとなく夢がありますね。山師的なものもあったり。
 現在も大学には鉱業博物館があるというので期待していましたが、朝早く来すぎたため、見ることができませんでした。今度来る時の楽しみとしておきます。

 そういえば篤胤はその当時、また後世の学者から山師呼ばわりをされています。夢の中で本居宣長にあって入門を許可してもらった、という怪しい話から始まって(どうも事実は少し違うそうですが)、仏教だけでなく、西洋キリスト教の知識も取り込んでみたり、自分が思う部分をつなぎ合わせて神話を再構成したり、現代から見るとオカルトに熱心であったり、と怪しい人物扱いもされています。そして、平田国学が昭和の超国家主義思想の淵源となって、第二次大戦の敗戦につながっていった、という見方もあり、戦後の学者や評論家達の評価は高くありません。


 さて、お墓は秋田大学の裏手(東側)にあります。看板もありますので、迷うことはありませんでした。


 参道に鳥居、いいですね。
 少し高いところにあるようで、細い道の階段をを登っていきます。

 登り切ると平地になっていて、篤胤大人の墓がありました。現在よく見る四角柱の墓石ではなくて、自然石を整形しているのでしょうか。


 神道の墓についていろいろ調べていますが、この形のものは、代々出雲大社の宮司である千家国造家のお墓で見たことがあります。神道のお墓ってどんな形がいいのですか?と聞かれることがあります。決まったものはありませんが、その回答の一つにはなるでしょう。この墓石はいい金額になりそうですが。


 ここからは秋田の市街が少し見えます。現在は木々が育っていますので、あまり視界は広くありませんが、昔はずっと見えたのかもしれません。伊勢の方角に向いていると聞きましたが、本当かどうかはわかりませんでした。

 非常に綺麗に整備してあり、秋田の人たちからは昔も今も尊敬を受けているというのがわかりました。明治維新の原動力は平田国学が全国の大勢の人に広がったことにありました。学者というより思想家、あるいは宗教家と見た方がよいでしょうが、まさしく人を動かした、ということで平田篤胤大人の業績は尊敬を受けるほどのものであったと思います。